| 『三国志』魏志倭人伝に記載された邪馬台国の所在地については、江戸時代の新井白石以来、現在に至るまでの永きにわたり、九州説と近畿説との間で論争が続いております。
しかし、いまだにその決着を見ていないことは周知のとおりです。
私は、従来の九州説・近畿説の立場ではなく、あくまで作者陳寿の視点で、邪馬台国の問題は考察・検証すべきだと考えています。それは、倭人伝が真に読めるのは、作者陳寿しかいないと考えるからです。そして、その陳寿の視点に立って、倭人伝と真摯に向き合った結果、「邪馬台国は糸島に在った」という結論を得ることができたのです。
また、倭人伝における陳寿の真意を知るためには、その筆法から、かれが「国境の記述」を第一義に記していることに気づく必要がありますが、その詳細については、拙書『陳寿が記した邪馬台国』(海鳥社)を、ぜひ参照ください。
いずれにしましても、糸島は、日本国家発祥の地にふさわしい立地と、考古学上の成果を備えた土地柄であります。弥生全時代を通じて、その王墓は、全国に六個しかありませんが、そのすべてが福岡県内にあり、また、そのうちの五つまでもが糸島地区に集中しています。それは、古代の日本(倭)の中心がこの糸島に在ったからにほかなりません。いまようやく文献と考古の成果が、糸島の地において結実したといえるのではないでしょうか。
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